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「ひきこもり・ニート」回復道具箱

ひきこもり・ニート状態の人の回復に役立ちそうな情報収集と体験談。

「移動販売催事業」真夏の車の中でのヤキトリ販売は炎熱地獄!

   最近、毎朝読ませていただいている同じ団塊の世代の方の記事に、
 「お好み焼き」を焼いている写真を拝見。


 あの鉄板と、お好み焼きの写真を見て、昔のことを懐かしく思い出しました。

 スーパーでの「移動販売催事業」をやっていたその昔、
 数回だけ「お好み焼き」に挑戦しました。

 その頃は、大判焼きを焼いていたのですが、「お好み焼き」もやってみることにし
 道具をそろえイザ我流でやってみて、その手間の多さに音をあげ、
 数回でやめました。

 めんどくさいことの嫌いな、ものぐさな性格の自分には、
 とてもできるものではないと早くも気が付いたのでした。


 数万円した道具たちはそのまま中古となりました。

 その頃、簡単単純で、やりやすいモノはないかと目につけた
 ものの一つが、車の中で焼くヤキトリの販売でした。

 
 まず、知り合った先生に焼き方の実地指導を2回と、
 車の改造等を教わる。

 小さな鉄工所さんで、車の中に炊事場をつけてもらい、
 保健所に届け出、検査、合格。

 ヤキトリは暑い夏がビールのつまみによく売れるという。

 座っていて黙っていて、
 ものもあまり言わなくても、商品力で売れるという。

 
 対話の少々苦手な、動くのが少々苦手な自分にはこれが適職?

 しかし、やるとみるとは大違い。

 しばらくして気づく、これも経験。
 
 スーパーの店頭に車を横づけして、ヤキトリを開店。

 狭い車の中に、リンナイの焼き器2台。

 その狭い車の中で、腰掛に座り、
 冷凍のヤキトリを直に次々焼いていく。

 モウモウとした煙で窒息しそう、
 リンナイのガスの火で、私の足の太ももも焼ける。

 ヤキトリのモモは焼けず、私の太モモが、
 上手に焼ける。(ソバ打ち江角名人のダジャレトークが移ってしまった)


  一日中、太モモに水をかけ防御活動に励む。

 真夏の温度は35度、車の中は45度?

 取り付けた小さなウインドファンは効き目泣く、扇風機は使えない。

 まさにお寺さんの護摩業の炎の中の修行並み。

 無心になってやり過ごすしかないと覚悟して、
 癒しのミュージック、喜多郎さんの「シルクロード」、浜田省吾さんの
 「もう一つの土曜日」、長渕剛さんの「とんぼ」ほか、
 多くのミュージシャンの力をお借りしました。
 

 このひと夏で、ヤキトリは懲り撤収。

 一体、自分はどこを目指しているのだろうか? 




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  1. 2015/11/02(月) 10:47:06|
  2. 「バイト・フリーター」入門

スーパーマーケットでの「催事業」(移動販売業)というお仕事

 「フーテンの寅さん」は、全国各地の祭りの出店に出かけます。
 
 私の「催事業」は、九州、四国、中国地方各地のスーパーマーケットを転々と出向きます。

 ある時期2年余りいた、催事の小さな会社の事務員さんからは、
 私のエラの張った四角い顔と旅から旅への仕事がらから
 「フーテンの寅さん」と呼ばれていました。

 なぜ「フーテンの寅さん」は、あんなに国民的人気があったのでしょうか?

 渥美清さんのキャラクターのすばらしさとともに、雲、風のように
 自由気ままにあちこちに出かける姿が 、平ぜい、仕事やしがらみで
 がんじがらみで窮屈な生活を強いられているサラリーマンの人たちや、
 そのほか大勢の人に受けたのだといわれています。

 スーパーマーケットでの販売は、気ままな風任せとはいかないのですが、似たように私も各地を回って、一人だけでやる責任と自由さがありました。
 
 それまでいくつかの催事業をやっていましたが、今回入った会社は、
 「アイデア商品」(アイデアグッズ)の販売会社でした。

 大型催事の一つで、スーパーの広い催事場に「アイデア商品」を並べ、売り場を設定し、新聞折り込みチラシを入れ集客して販売するというものです。

 お客さんはチラシで見た目当ての商品を買われるので、
 私の仕事は、商品陳列とレジ打ちです。

 収入は確かに多かったのですが、スーパーからスーパーへの移動で、年中休みはありません。
  仕事時間も、スーパーの開店前からほぼ終了まで長時間で、
 おそらく時給にすればわずかでしょう。

 しかし、収入が多ければオーケーです。

 移動日は、例えば岡山県のスーパーから山口県の防府市に移動して、その日に準備します。

 普通トラックに積んだ商品を、スーパーで借りたワゴン10数台を
 組み立て、陳列します。

 
 その間に、その日から一週間宿泊するビジネスホテルに予約をいれます。

 店頭でやっている時、台風や雨などが大変です。

 又、一人でやるので体調に気をつけ、絶対に休むわけにはいきません。

 冬はよく風邪をひくので大変です。

 帰り道、雪が降りだし積もってしまい大きな坂が越されず、
 道端に車をおいてバスで帰ったこともあります。

 高速道路のトンネルの中でパンクしたときは肝を冷やしました。

 アイデア商品(便利グッズ)の数々を見ていると、人の役に立ち便利なものにはニーズがあるのだということがよくわかります

 家庭の主婦が、アイデアグッズを考え、商品化し成功した例がいくつかあります。

 その後、いつしかブームも去り、商品は売れなくなり、
 2年余りの在職で解散となりました。



     ◆  ご案内
  
    第10回     KHJ全国大会in香川      
           (全国引きこもりKHJ親の会連合会)

     テーマ
       「未来に希望を持てる引きこもり支援」
        ~生活困窮者自立支援において
                  KHJができること~

    2015年10月31日(土)  11月1日(日)
      会場  香川県社会福祉総合センター
           高松市番町1丁目10-35
            087-835-3334

      お問い合わせ先
         香川県オリーブの会
          TEL&FAX 087-843-9877 




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  1. 2015/10/28(水) 10:57:14|
  2. 「バイト・フリーター」入門

警備員というお仕事 私の体験

  私が警備員の仕事についたのは、およそ10年ほど前。

 ハローワークで仕事を探すものの、なかなか見つからず苦労していました。

 ある日、新聞で失業者対策事業の募集の案内を見つけました。

 自転車の無断駐輪をしないよう、呼びかけたりする仕事でした。

 市の仕事を受託した、警備会社に入り、初めて警備員の教育を受けました。

 警備業法にのっとって4日間、警備法などの講義を受け、実技の訓練も受けます。

 この訓練機関の日当は後日、支給されます。

 今回の、勤務期間は6か月の期間限定になりますが、私は、2次募集で残り3か月でした。

 この仕事に就いたおかげで、警備業という仕事を知り、その後警備員の仕事をすることになります 

  もし、私が夜学時代にこの警備員の仕事にめぐり合えていたら、もっと楽にバイトが探せたのにと思えます。

 今もたくさんの、いろいろな人が警備員の仕事をしています。

 学生さん、フリーターの人、女性、定年退職後の人、高齢者の人。

 多くのいろいろな人と一緒に仕事をしました。

 原則、足腰丈夫で、やってみようという意志さえあれば、・・・・やれます
 
 冬は寒く、夏は暑く、少々過酷な面もありますが、仕事内容の種類は多いので、自分にできそうなものを選ぶのが最重要課題です。

 寒さも暑さもへっちゃら、体力に自信のある人は、どれでもできます。

 寒さや暑さに弱く、体力に自信のない私の場合は、選定に苦労しました。

 タウンワークなど、無料のアルバイト情報の雑誌を大量に集め、念入りに検討します。

 私の場合は、道路の交通警備は、まずできないので除外。

 施設警備の募集を探し、まず現場を見に行き、仕事のハードさをチエック。

 できそうだと判断してから決めます。

 私の知り合いの人には、年金生活の中、週1回勤務というひともいます。 

 募集内容によっては、働く日にちを自分で決められるので、学生さんや高齢者の人も働きやすい。

 又、ニコニコ現金で、その日の賃金を、その日もらえる会社もあります。

 制服は支給、辞めるときにクリーニングに出して、会社に返却します。


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  1. 2015/09/28(月) 12:32:22|
  2. 「バイト・フリーター」入門

フリーター(短期バイト)で夜学生活6年間

 高校1年で中退してから、いろいろあって20歳頃通信制高校から国泰寺高校定時制(夜間)2年に編入。
 牛乳配達の収入で自活していたが、夜学の頃はやめてフリーター生活に入り、学費と生活費をねん出。

 親も貧乏だから資金援助はなし。 なんとかなるだろう。

 夜学では、多くが年下。

 けっこう田舎から働きに都会に出てきた子が多かった。

 昼働いて夜、夜学。
 みんな苦労して頑張っているんだなー。

 遊びたい年頃で、仕事の疲れで居眠りしながら夜、学ぶ。

 卒業までに、多くの子が耐えきれずやめていく。

 自分は年上なので、ついつい弟や妹のように見てしまい心配する。

 あの子が辞めたいと言い学校を休むと家まで行き、

 この子が学校に来なくなると職場を訪ね、もう少しの辛抱と話す。

 昔、自分が中退しているので、辞めてほしくない。

 しかし、それでも随分辞めてしまった。
 そんな時、私と同年齢の人がリーダーになり10人前後のメンバーで、山登りや、鍋会の親睦会を開く活動を始める。
 そして私は、そこに入らない子達ともグループを組む。

 周りのみんなが苦労をしていると、自分の苦労が苦労と感じなくなる。

 私は相変わらず、定職に就く勇気がなく、バイトで食いつなぐ。

 それも長期バイトは敬遠して短期バイトを繰り返す。
 短期バイトは、その期間何とか我慢すれば、自然に終了するので気が楽。

 週4日バイトして3日は、勉強するか本を読んでいたい。

 バイトを見つけるのは、昔、街中にあった「学生相談所」
 一応学生の身分なので、そこに貼ってあるバイト
 を申し込むと、たいていOK。
 6年間でついたバイトの数が数えられない。

 仲間内にはバイトは一切せず、ひたすら勉強に励み、食事は、パンの耳で大学を目指す子、 海外留学を目指す猛者達もいた。

 そして、卒業近くなり、又次の夜学、商大短期大学部(2年、夜間)にいくことを決める。

 入学金は友人に借りる。

 大学では奨学金も借りる。

 バイトは、学校の紹介で、酒の製造元に入り、久しぶりに長く務める。仕事内容は車での配達。

 空手部に入部。防御を重点に教わる。

 2年生の時、大学移転を知り、夜学の存続に危機感を感じ、「移転問題実行委員会」を作り、遠方になるため、交通輸送他の条件交渉を行う。

 勉強をあまりしなかったせいか、単位を一科目落とし落第。

  名称が修道大学に代わり、郊外に移転した新キャンパスに1年通い、無事卒業。 


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  1. 2015/09/27(日) 11:30:43|
  2. 「バイト・フリーター」入門

初めてのバイト

 16歳、高校1年で中退した後、自転車で河原や山へ行って過ごすという生活を続けていました

 随分たった頃、近所の新聞店で配達員求人の張り紙を見つけました。

 何かをしたい、何かをしなければという焦り。

 しかし、仕事に就くには人間関係でむつかしく、就職は考えられない。

 新聞配達は早朝で、人とはあまり会わずにできる。

 まず最初はハードルを下げ1日30分程度からスタート。

 最初は、朝起きれるか心配で、ズボンと服を着たまま寝て、すぐ起きれるようにしていた。

 しばらくして、他の新聞店の店主が「うちでやってみない?」と声をかけてくれて、そちらに移り、少し配達量を増やす。

 しかし、朝新聞配達を終えて、昼間は相変わらず自転車で、今日は東、明日は西と行けるところまで行って、帰ってくるという生活。

 その後、店主が、知り合いの新聞店が、専従員を探しているので行かないかということになりました。

 朝は朝刊配達、午後は集金や、新聞勧誘員さんの案内係。

 しかし、オーバーワークですぐ潰れ辞める。また元の生活。
 その少し後、ある朝自転車で三原の仏通寺に向かって「座禅」を求めて出発。

 その後、しばらくして、牛乳配達の求人のポスターを見つける。

 これも早朝だし、人に会わなくていいので、できるかもと入らせてもらう。

 店主は70歳くらいの老人で、親切な人だった。

 履歴書などの面接はなし。

 「バイトしたいのですが?」

 「明日からおいで」

 牛乳配達の自転車は、ガッチリした商用自転車で重たい。

 前ハンドルの両側に、大きな袋を下げ、中に3号ビン、5号ビンという大きなビンを入れる。

 後ろの荷台に牛乳箱を積む。

 最初は乗りこなすのが大変。

 運転はフラフラ。

 冬の雪の日には、滑って自転車を倒し、牛乳ビンを割ったりと泣くおもい。

 しかし、店主はいっこうに怒らない。

 「そんなこともあるさ、と・・・・」
 そんな中、慣れたころ「夕方にも配ってみるか?」という話。

そして、朝、夕配ると結構いい収入になり、一人暮らしが始まる。

 その頃の自炊食事メニュー。

 朝パン牛乳
 昼、インスタント焼きそば(キャベツ、タマゴ入り)
 夜、インスタントラーメン(キャベツ、タマゴ入り)

 共同炊事場で、毎日インスタントの定番メニューを料理していると、隣のおばさんが「毎日同じメニューで飽きないねー」と声をかけてくる。

 「いやー、そういう問題ではなく」と、心の中でつぶやく。

 その頃、牛乳店の店主が、余った牛乳と一緒に巻きずしを土産によく持たせてくれ食料にたすかりました。

 その後、20歳ごろ、ある理由で猛烈に勉強したくなり、通信高校を1年へて定時制高校(夜間)2年生に編入。
 夜学では、昼間バイトして、学費、生活費を稼いで自活していくことになります。

 しかし、やはり、定職(会社の人間関係)には付く気がおこらず、数十の短期バイトで食いつないで生きていくことになります。



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  1. 2015/09/05(土) 17:23:15|
  2. 「バイト・フリーター」入門