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「ひきこもり・ニート」回復道具箱

ひきこもり・ニート状態の人の回復に役立ちそうな情報収集と体験談。

平和に捧げた生涯・マザーテレサ

   ヨグマタ35
 


     「その時歴史が動いた
              マザー・テレサ」
       ~平和に捧げた生涯~   

           (動画より~)

  ”マザー・テレサの生涯” (紛争・戦争)
    幼少期・・・・第一次世界大戦
            故郷バルカン半島での民族紛争
    インドでの活動・・・・第二次世界大戦
                 インドでの宗教対立

    世界各地での活動・・・・中東戦争など世界各地での地域紛争
                    湾岸戦争

  ”その時”
    1979年12月10日、マザー・テレサがノーベル平和賞を受賞。

     「スピーチ」・・・マザーはまず「共に祈ろう」と人々に呼び掛けた。
                「主よ あなたの平和を もたらす道具として 
                 わたしをお使いください

                 憎しみのあるところには 愛を 
                 不当な扱いのあるところには ゆるしを 
                 分裂のあるところには一致を」 
                   (マザーが捧げたのは、聖フランシスコの平和の祈り) 

                 「たえまない紛争と、そこにうまれる貧しい人達、
                  絶望の中で希望を与えつづけたいとの思いを、
                  世界の人々と分かち合おうとしたのです。

                      (そののち、世界各地で人道的支援を目指す市民による
                       支援活動が盛んにおこなわれる。)

  ”一人、そしてまた一人”
     「一人一人の人間の尊厳を守ることが、
      平和への道筋になることを問いかけ続けた。」

     「平和は一人ひとりの取り組み・生き方の問題。
      豊かさ、貧しさを考える上で”認識の転換”が必要」

     「”貧しい人”という固定したイメージでなく、
       私たち自身の”貧しさ”が、貧困・紛争を起こしだしている。」

     「お金に測れない豊かさ、愛や平和につながる豊かさ、
      今の社会から、もうひとつ後の社会を展望するもの」


   ヨグマタ20

        ~マザー・テレサの言葉~
            人は不合理、非論理、利己的です。
            気にすることなく、人を愛しなさい。


            あなたが善を行うと、
            利己的な目的でそれをしたといわれるでしょう。
            気にすることなく、善を行いなさい。

            あなたの正直さと誠実さが、あなたを傷つけるでしょう。
            気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。


            あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい。
            けり返されるかもしれません。
            気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

                 「この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。
                  人から見放され、”自分は誰からも必要とされていない”
                  と感じることなのです。」


                 「この世界は、食べ物に対する飢餓よりも、
                  愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。」

                 「神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。
                  ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。」

                 「いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、
                  愛が原因で間違った方が素敵ね。」
 


    仏通寺36

         ~「心の癒し」(3記事)より~”             

    心のともしび「マザー・テレサに聞く」
                                     (動画内容)


 (聞きて : ハヤット神父)
あなたたちは、貧しい人たちに中でも最も貧しい人、病気の人、死にかかっている人、ハンセン病の患者、そういう人達のために働いていますが、これは非常に大変な仕事ではありませんか?

 (マザー・テレサ)
この仕事には、競争相手がありませんから。

 
(ハヤット神父)
あなたと一緒に働いている人達は、どういう動機で、こんなに難しい仕事をやっているのでしょうか?
 (マザー・テレサ)
イエス様が、苦しみ悩んでいる人のためにやることは、私の為にやることであると、おっしゃったからです。
神様を知らなくても、誰でも愛する本能があります。


 (ハヤット神父)
人を助けるより、つい自分の利益を先に考えます。
あなたは神様を愛しているから、わがままを抑えて、人を愛することができますが、神様を知らない人にとっては、これは難しいことだと思います。
私たちは自分のエゴに、どうすれば打ち勝てるでしょうか?

 (マザー・テレサ)
愛し始めることによって、傷つくまで愛することによって、愛は身近なところから始まります。
私たちは、持っていないものを与えることはできません。
愛は、分かち合うことから始まります。


 (ハヤット神父)
マザーとシスター達の写真を見ますと、こんなに大変なことをやっているのに、いつも喜びに満ちているように見えますが、どうして、いつもそれはど幸せなのでしょうか?
 (マザー・テレサ)
不幸せになる理由が、ないじゃありませんか。



                  ヨグマタ15

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  1. 2018/05/11(金) 12:12:29|
  2. その時歴史は動いた

逆境こそチャンス

   薩摩6




  「外様大名はこうして生き残った!
       ~家康に勝利した逆転の戦略~」

              (動画より~)

  ”天下分け目の関ヶ原の戦い”
    徳川家康、天下人への第一歩。
      その時、外様大名の受難が始まった。・・・・お家取り潰し・領地没収

      独自の戦略で、したたかに生き延びた外様大名がいた。
       「薩摩 島津家」・・・・驚きの生き残り戦術とは?
       「長州 毛利輝元」・・・・どん底からの経営立て直しに挑む。
       「仙台 独眼竜・伊達政宗」・・・・”戦うか?””恭順するか?”

  ”「外様大名」”・・・・逆風でいかに生き残るか。
              徳川家譜代の家臣以外の大名200家。
              関ヶ原の戦いから2年間に88家が取り潰し。
              幕末までに8割近くが取り潰し。

  ”「薩摩 島津家」・・・・「あえてノーという勇気」”  薩摩2

                 慶長5年(1600年)・関ヶ原の戦い
                 関ヶ原からの脱出に、数万の敵の中に捨て身の敵中突破。
                 島津の決死の抵抗は家康を恐れさせた。

                 戦後処理で、西軍の大名は次々と断罪される。
                 家康から島津家に上方出頭命令が届く。・・・島津家は拒絶。
         

        「島津家の戦略」・・・・一、表向きは恭順
                      一、軍事的には徹底抗戦

                 家康は再三、島津に出頭を命じた。
                 島津の抵抗が家康の天下統一を阻んでいた。

          ”家康の安堵状(あんど)”・・・・(島津は外様でありながら、全領土安堵を勝ち取った。)
                 (島津は、敗者でありながら家康に領土を指一本触れさせなかった。)

   吉田松陰1

  ”長州 毛利輝元”・・・・「逆境こそチャンス」
                西軍の総大将(敗軍の将)

                家康は、領国経営の能力がない外様大名の切り捨てを始める。
                中国地方の覇者・毛利家は領地の4分の3を没収され、
                危機に直面した。
                藩の財政破綻、内部分裂。(藩の取り潰しの危機)


      「藩の立て直し策」・・・・家臣の給料を5分の1にカット。
                       (差額を借金返済に充てる。)

                    輝元は領地を失った家臣に、農民への転身を奨励した。
                    積極的に新田開発を奨励。
                    限られた土地の有効利用をすすめた。

                    和紙の原料・楮(こうぞ)の増産を計画。和紙を特産品にすることに成功。
                    新たな銅山の開発を命じる。
                       (やがて、産業振興策が実を結び、
                           和紙や銅が特産品として、藩の財政をうるおす。)
                    
                     輝元は家臣を武士の身分のまま、商業にも従事させた。
                     藩の財政立て直し成功・・・・藩を出た家臣たちの帰参を受け入れる。

  ”仙台 独眼竜・伊達政宗”・・・・「あえて戦わず・共生の道を選ぶ」  薩摩7
                       1600年・関ヶ原の戦い
                       奥州仙台・伊達家は東北で家康方で戦っていた。
                       家康は政宗に50万石を与えると約束をしたが、
                       関ヶ原の戦い後、約束を反故にした。
                       家康は有力外様大名・伊達政宗を警戒した。

                      政宗は北上川の改修に着手する。(新田開発・米の増産)
                      仙台藩の米は、徳川のお膝元・江戸の台所を支えるようになる。
                      政宗は江戸屋敷にしばしば家康や2代将軍・秀忠を招いた。(友好関係)


                      徳川家康、倒れる。(大御所様危篤)
                      伊達政宗、謀反のウワサ。
                      政宗は、家康が病に伏す駿河へ出発。
                          ”家康「政宗殿、息子秀忠をよろしく頼む」”

       ”伊達政宗・辞世の句”
             「曇りなき心の月を先だてて
                      浮き世の闇を照らしてぞ行く」
 


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  1. 2017/10/04(水) 00:03:15|
  2. その時歴史は動いた

アインシュタインと平和運動

   アインシュタイン8





    ”今やわれわれは危機に瀕しています。
     原子力はわれわれの頭の中をのぞいて、
     すべてを変えてしまいました。


     この巨大な力を開放したわれわれ科学者は、
     人類の利益のため
     原子力を管理すべき責任を負っています。”
        (アインシュタイン・1946年5月23日
                    核兵器禁止運動をはじめる)



             アインシュタイン1
         
 「その時歴史は動いた
    日本を愛したアインシュタインの悲劇」
       ~核兵器廃絶への願い~   (動画より~)


 ”アルバート・アインシュタイン”
    ・子供の頃のアインシュタインは、内気で人と話すことが苦手でした。
    ・大学受験に失敗。
    ・浪人中に通った学校で物理学者を志す。

    ・大学卒業後は学者になることはできず就職。
    ・そして、独学で特殊相対性理論を完成した。
      (20世紀最大の科学の発見ともいわれる理論)

 ”第一次世界大戦はじまる。”・・・・1914年7月
                       科学技術の進歩が新兵器に応用された。
                       「アインシュタインは、科学が戦争に利用されることに、
                        深い危惧を感じる。」 

 ”1922年 日本への講演旅行の依頼”   さとり16

    11月17日 アインシュタイン来日
    東京・名古屋・京都など全国7か所で「相対性理論」の講演。

    「日本についての印象」・・・・この国のものは、すべてが愛らしく、晴れやかであり、
                      常に自然の恩恵と結びついている。 

 ”第一次世界大戦後、国際連盟が設立”
     アインシュタイン・国際連盟知的協力委員会の長となる。
     アインシュタイン・平和運動に参加
                「絶対平和主義を唱え、軍事力の放棄を世界各国に訴えた」

     1923年・・・・フランスがドイツのルール地方を占領。
     国際連盟は無力だった。
     国際連盟に失望したアインシュタインは、知的協力委員会を去る。

 ”1933年 ヒトラー政権誕生”
     軍備の拡張をはかる。
     ユダヤ人排斥が行われ、アインシュタインの著書も焼かれた。

 ”1933年10月・・・アインシュタイン、アメリカに亡命。 
  アインシュタイン12

    5年後、1938年ドイツでオットー・ハーンのグループが核分裂を発見。 
      「原子核が分裂すると、巨大なエネルギーが出る。
       これを応用すると、原子爆弾を作ることができる。」

 ”1939年、ナチスドイツ、チェコスロバキアを支配下に。
     ナチス・原子爆弾を研究。
     「ナチスが原子爆弾を手にしたらどうなるのか」

 ”1939年 第二次世界大戦勃発”
     ナチス、ヨーロッパ各地に進攻。
     「ナチスに対抗するには、武力を用いざるを得ない」

 ”1941年12月8日 太平洋戦争はじまる”

 ”アメリカ 原子爆弾の開発を急ぐ”
     原子爆弾開発の詳細は、アインシュタインには知らされなかった。

 ”1945年5月・・・・ ドイツ降伏

 ”1945年8月6日・広島、9日長崎に原子爆弾を投下” アインシュタイン14

     アインシュタインは、原子爆弾の投下をラジオのニュースで知った。

 ”アインシュタイン、核兵器禁止運動をはじめる”・・・・1946年5月23日


 ”核兵器廃絶を訴える”
     「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名。

 ”第一回原水爆禁止世界大会(広島)・・・・1955年8月6日

 ”1957年以降、パグウォッシュ会議(科学者による平和会議)が続いている。

 ”1968年 核兵器拡散防止条約締結”

    「アインシュタインは、個人の平和運動を、
          世界中の科学者による組織運動に発展させた。」
 



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  1. 2017/05/26(金) 00:01:03|
  2. その時歴史は動いた

たった一人での決起・功山寺決起

     奇兵隊12



 江戸時代の末・幕末動乱の時代
幕府軍15万の敵

高杉晋作・一人で決起(功山寺決起)
    (元治元年・1864年12月15日夜・山口県下関市)


  奇兵隊に決起を促すが、奇兵隊は決起せず。
  高杉は他の隊に決起を呼び掛ける。
  呼びかけに応じ集まったのは、わずか80名。
    (伊藤博文が率いる力士隊十数名、遊撃隊60名)

   ”これよりは、長州男児の腕前をお目にかける” 
     「奇抜な発想・大胆な行動力・天才的な戦略の数々」
         (高杉の功山寺決起は、明治維新の扉を押し開けた)

 
 「その時歴史は動いた
    ”奇兵隊決起せよ 高杉晋作挙兵の時」
            (動画より~)


  ”高杉晋作”     高杉10
   
     長州藩士の家に生まれる。(萩)
     19歳の時吉田松陰の塾に入る。
        (塾生・・・伊藤博文:初代総理大臣、山県有朋:第3代総理大臣・ほか)

     「吉田松陰」・・・・松陰の塾には、身分にかかわらず誰でも入ることができた。
                人間は、どんな人でも何かの才能を持っている。
                   (天才高杉を生んだ個性重視の教育)

               塾の講義の柱は・・・・日本を取り巻く国際情勢。
               日本は、アメリカの圧力で開国させられたばかりであった。
               松陰は幕府の外交政策を批判した。 安政6年(1859)吉田松陰・処刑される。  吉田松陰7


 ”奇兵隊”
    文久2年(1862)。高杉24歳の時、藩より上海視察に出発。
       (上海は英仏のなかば植民地)
    このままでは日本も中国と同じ運命をたどる。
    帰国した高杉は、幕府打倒を主張。


    文久3年(1863)・・・・長州藩、外国船を砲撃。
                  一か月後、外国艦隊が、報復に来襲。

    藩主は高杉晋作を呼び出し、対策を指示。
    高杉晋作・・・・奇兵隊創立。   奇兵隊6

               「有志の士を募り、一隊を創立し、
                          名付けて奇兵隊といわん」
 
                   (奇兵隊の最大の特徴:やる気のあるものが集まった(有志)

             奇兵隊総督に就任。
             奇兵隊参加者の半数以上が農民や町人。
                (朝市隊:商人、遊撃隊:猟師、力士隊 ほか
                      隊の数は200、兵の数は2000人に達した)
             事件が起き、高杉晋作・奇兵隊総督を解任される。

   「高杉晋作、脱藩の罪で入牢」   

   「元治元年(1864)、長州藩は京都に進攻。幕府連合軍に惨敗」
   「四か国艦隊長州藩を攻撃」
   「第一次長州征伐・・・・幕府軍15万、長州藩四千」

 ”功山寺決起”
    元治元年(1864)12月15日夜
    高杉晋作 功山寺で決起。


    その後の呼びかけに応じ、商人や農民が次々に協力を申し出た。
    その後、奇兵隊も決起に呼応。 
    高杉の軍は3000人となる。
    奇兵隊と藩保守派が戦闘開始。藩保守派を圧倒した。
    藩は、幕府との対決に一本化。

 ”慶応2年(1866)第二次長州征討始まる。
  長州軍は幕府軍を次々と打ち破った。


  慶応2年(1866)9月・・・高杉晋作、病に倒れる。
  慶応3年(1867)4月14日
       (新暦5月17日)高杉晋作死去(享年29)
         「ここまでやったのだから
                  しっかりやってくれろ)

       「辞世の句」
          ”おもしろきこともなき世を 
                       おもしろく・・・・・”


     ”三千世界の烏(からす)を殺し          高杉18

               ぬしと朝寝がしてみたい” 
           (高杉の作ったといわれる都々逸の一節。 
            370首あまりの歌を残した)

  高杉晋作の死の半年後、大政奉還。
  高杉晋作の死の翌年、明治時代始まる。



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  1. 2017/05/18(木) 12:47:16|
  2. その時歴史は動いた

「風の男」白洲次郎

     
      逋ス豢イ谺。驛趣シ抵シ農convert_20170512101129
        



     白洲次郎

  20世紀初頭、
  ヨーロッパのカーレースを席巻した、
  イギリスの名車、ベントレー3リッター
 

  この最高級のスポーツカーに乗り、
  ヨーロッパをかけめぐった日本人。
  日本で最初にジーンズをはいた男。 逋ス豢イ谺。驛趣シ托シ誉convert_20170512103929
 

  晩年には、世界的デザイナー
  三宅一生のモデルにもなった、ダンディな人物。 

 「マッカーサーを叱った男
           白洲次郎の挑戦」
   その時歴史は動いた (動画より~)


  ”白洲次郎”もう一つの顔 
    「政治と経済の両面で戦後復興・・・・陰の立役者」

    「昭和20年8月」 
     マッカーサー率いる連合軍総司令部GHQ、日本占領。
         (民間人であった白洲は、外務大臣吉田茂に抜擢され、
          GHQと日本政府の交渉の最前線を担う。)

  ”戦後の枠組みを決める憲法改正”
     GHQは、自ら作成した憲法案を日本政府に、のみこませようとしました。
     白洲は・・・・日本人での改正を目指し、GHQに最後まで抵抗。
             「われわれは、戦争に負けたのであって、
              奴隷になったわけではない」

 ”「従順ならざる唯一の日本人」と、
             GHQから呼ばれる。”
 
     日本経済の再建の方針を巡っても、GHQと衝突。
     マッカーサーに対しても信念を曲げなかった。  白洲次郎4
 

 ”通商産業省 設立”・・・・昭和24年5月25日
     敗戦から4年後。
     貿易立国による日本再生を目指し、通商産業省発足。
     経済大国として飛躍する礎をきづいた。 

 ”白洲は、通商産業省設立を見届け、政治の世界から去る。” 
     「風の男」白洲はそう呼ばれるようになりました。

 ”昭和26年8月31日 白洲次郎6

  サンフランシスコ講和条約に、吉田茂率いる全権団が出発した。 
  白洲次郎、特別顧問として随行。

  こののち、白洲は実業界の要職を担いながら、
  戦後の日本の成長を支え続けました。 

 ”遺言書”
     「葬式無用 ・ 戒名不要」   



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  1. 2017/05/12(金) 11:00:18|
  2. その時歴史は動いた
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