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「ひきこもり・ニート」回復道具箱

ひきこもり・ニート状態の人の回復に役立ちそうな情報収集と体験談。

スーパー隠居・伊能忠敬

   伊能忠敬2

   


   「ドキュメンタリー歴史ミステリー
          伊能忠敬 驚異の日本地図」

               (動画より~)

  ”伊能忠敬”(1745~1818)
       江戸後期・精密な日本地図を作った

  伊能忠敬が測量の旅に出たのは、隠居中の56歳の時。
  足かけ17年、全国を測量、終えた時は72歳。
  自らの情熱と才覚で第2の人生を切り開いた”スーパー隠居”


     幕末期・・・西洋に日本を尊敬させた地図。
          伊能図・世界標準の地図。高い科学技術水準。

  ”忠敬の計量法(導線法)”・・・・①地図作りで一番重要なのは正確な距離と方位を測ること。
                      ②二つの地点に棒を立て距離を計測。
                      ③スタート地点から次の地点の間の方位を測る。
                         (これを繰り返し、線でつなげば地形が描ける)

           「最新の航空写真と比べてみてもほぼ陸地の形は一致。
            シンプルで地道な測量を続け、正確な日本地図を完成。
            海岸線を歩いて作り出す凄さ。」

  伊能忠敬1

  ”隠居後、自分のやりたいと思っていた道へ”
    千葉県香取市佐原
    江戸時代の中頃、忠敬は大きな造り酒屋を営んでいた。
    資産約60億円を築く。

    50歳で隠居。
    好きな天文学を極めるため江戸に出る。
    幕府天文方の高橋至時に弟子入り。
    
    幕府天文方(江戸浅草)・・・・最大のミッションは、正確な暦・カレンダーを作ること。(天文観測)
                      正確な暦を作るため地球の大きさを知ること。

  ”忠敬は地球の大きさを測るためある方法を実践”
     緯度1度の距離(を測り)×360=地球の大きさ

     短い距離だと誤差が大きくなる。せめて、「江戸~蝦夷地」の距離が必要。
     地図を作るという名目なら、測量の許可が幕府から出るかもしれない。

     幕府も国防のため、地図が必要(ヨーロッパ、ロシアからの進出)
     幕府は蝦夷地測量の許可。

     蝦夷地測量は忠敬のほぼ自費で行われた。(ボランティア)・(幕府から2割ほど)
     忠敬・江戸深川出発。(56歳~)
     1日40kmのペースで計測。往復3200km、180日間。


     地球の大きさの計算に取り掛かる。
     緯度1度の差・・・・111km×360=39960km(約4万㎞)
       (最新のデータと比べても1000分の1の誤差)

  ”幕府に蝦夷地の地図を提出”
    蝦夷地図の正確さは、幕府を驚かせた。
    幕府は忠敬に東日本地図作りを命じる。
    3年間の東日本の綿密な測量地図。⇒第11代将軍徳川家斉に披露。
                             高い評価で、忠敬は幕臣に取り立てられる。

  伊能忠敬4

  ”伊能図の製作は国家プロジェクトに”
     伊能測量は”幕府直轄の事業”となり西日本の測量が始まる。
     西日本の測量は延べ12年間3万㎞。(150の藩が協力)
     伊能図の製作は江戸後期最大の国家プロジェクトに発展。

     伊能図は、日本列島の海岸線を描き上げるのが大きな目的。
     国土に対する認識。
     外国対日本という観点。(九州測量はイギリス対策のカギ)
         (伊能図は時代の変わり目のシンボル)

     伊能図が国家意識を芽生えさせた。
        (地図があるから国がある。地図なくして近代国家なし)

  ”天命”
     56歳から日本中を歩き続けた伊能忠敬。
     晩年、娘へあてた手紙。
       「歯はほとんど抜け落ち、時々痛む。
                  奈良漬けも食べられない」
     72歳測量終了・・・・測量日数3727日
                  踏破距離約4万㎞(地球1周分)
       ”日本国中測量したことは、私の天命でした。”


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  1. 2018/01/20(土) 00:03:38|
  2. 歴史ミステリー

なぜ江戸を選んだのか

 江戸9





  「歴史ミステリー
     家康はなぜ江戸を選んだのか?」

             (動画より~)

   世界屈指の巨大都市・東京  江戸45

   その礎を築いたのが徳川家康。
   しかし、昔この地方は湿地が広がり、農業に適さないさびれた寒村。

 ”家康はなぜ江戸を選んだのか?”
   豊臣秀吉の小田攻めの時の最大の功労者→徳川家康
   恩賞として与えられたのが、都から遠く離れた関東の地。
   家康の実力を恐れ、秀吉が封じ込めた。

  「家康の関東支配のための3か所の候補地」 
     ①小田原・・・・難攻不落の小田原城
     ②鎌倉・・・・武家の古都
     ③江戸・・・・秀吉が薦める寒村・江戸
         (拠点をどこに置くか?
          判断を誤れば、天下を狙うどころか全てを失う可能性)   江戸33


 ”解説者・・・・様々な分野の専門家
           城郭、地形、作家、都市計画

     ・家康の凄いところはピンチをチャンスに発想を変えられる。
     ・最大の国土プランナー、日本人にとってべらぼうな財産を家康はくれた。

 ”天正10年(1582)6月2日 本能寺の変”
    その後、豊臣秀吉が天下を狙っていた。
    それに対抗したのが、信長の子・織田信雄。
    信雄が助力を求めたのが徳川家康。

    家康と秀吉の戦い。
    「小牧・長久手の戦い」・・・・秀吉軍に大打撃を与えた。
    ところが、秀吉と信雄が「和議」を結んでしまった。家康も講和。

 ”秀吉、小田原(北条氏)に進攻、22万の大軍勢。”
     徳川家康は最大の功労者。
     秀吉から家康への論功行賞・・・・旧領地を没収。 代わりに北条氏が治めていた
                          関東を与えるという理不尽なもの。
                          家康は、この無理難題を受け入れざるを得ない。

   江戸18


 ”家康江戸入国”

     当時の関東は湿地帯。逆境をチャンスに変える。
     家康は己を知っていた。
       (慎重で、石橋をたたいても渡らない、小心者)
     信長や秀吉は、自己肥大化していく。
     家康は自分自身を戒めて、慎重に事を運んでいった人物。

     東京は不思議な都市。
     何回も火事、災害にみまわれるたびに復興の街づくりを行い、
     拡大していく不死鳥のような都市。
     東京湾に利根川・荒川・多摩川が流れ込む、見渡す限り大湿地帯だった。   江戸10


 ”利根川東遷事業、新田事業”
     多くの河川が流れ込む江戸は、湿地帯が多く農地に不向き。
     利根川の流れを変えれば、湿地は肥沃の大地に代わる。

     家康はタカ狩りと称して関東中をフイールドワーク。
     現在の関宿と栗橋の間に台地がある。
     川幅の狭いところを閉め切れば、利根川は銚子に向かう。
     関東平野を大洪水から守ることは関東の宿命。

   「関ヶ原の戦い (1600年)
    徳川家康・征夷大将軍に就任 (1603年)
    江戸に幕府を開く・・・・天下普請により、江戸城は世界最大規模の城郭となった。
    1615年 大阪の陣で豊臣氏・滅亡。」

 ”家康が利根川東遷工事を始めて60年後に完成”
    農業に不向きの湿地帯であった関東平野は、
    日本最大の穀倉地帯に生まれ変わった。

    荒廃地を食料供給の農地に変えることで、
    江戸は百万をこえる世界最大の都市に発展。

   江戸40




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  1. 2017/09/07(木) 00:03:15|
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