FC2ブログ

「ひきこもり・ニート」回復道具箱

ひきこもり・ニート状態の人の回復に役立ちそうな情報収集と体験談。

ムチャが通れば奇跡が起きる

  萩市6



  「知恵泉: 高杉晋作、参上!
       ムチャが通れば奇跡が起きる」

             (動画より~)

  ”高杉晋作”
    山口県萩市。長州藩。
    江戸時代末期、上級藩士の家に生まれる。
    19歳、松下村塾入塾。

    晋作たちが学んだ書籍の一つ。
    「ごんよ図識」・・・・世界の地理書:世界中の地域の地理や暮らし。
                各地に植民地を持つ西洋について。
                松陰は、世界情勢を見て「攘夷」の思想を説く。

    「晋作22歳」・・・・自分は何を目指せばいいのか、迷った晋作は全国へ旅に出る。
               信州では佐久間象山、福井では横井小楠など有名な学者に面会。

  ”ムチャを成し遂げるための知恵①”
    「夢をわめけばいつか拾われる」
      晋作は藩の上層部に、海外留学の夢を叶えてほしいと、
      しつこいほど強く願い出ていた。
      晋作24歳:幕府の貿易視察団の一員に推薦される。

      視察先は清国・上海・・・・西洋列強の支配。
                       (清国がアヘン戦争でイギリスに敗北。西洋列強の租界に。
                        我が国の人々も油断してはならない。)

  萩市1

    「相手は格上、さあどうする」
      文久3年5月・・・・長州藩、外国船を砲撃。(晋作26歳)
      翌年1864年、英仏蘭米の軍艦17隻が襲来。

      沿岸を占領される。長州藩は停戦を申し入れる。
      晋作、藩の全権代表として停戦交渉。
      300万ドルという賠償金要求。(長州藩の年間予算の十数倍)

  ”知恵②”・・・・「追いつめられても、プライドだけは見せろ」
            そもそも攘夷を決行せよと命じたのは幕府である。
            賠償金は、幕府に請求すべきである。

            晋作は「長州人の志気は、いまだ衰えていない」と志気を示す。
             (賠償金の支払いは、後日幕府と話し合う条文を加え、交渉は決着)

  ”絶体絶命、さあどうする!?”
      晋作26歳(1864年)・・・・幕府は大名たちに「第一次長州征討」の命を出す。
                       十数万の大軍勢が長州を包囲。
                       長州藩は、幕府に従う恭順派が多くを占めるようになる。

                        高杉晋作・・・・孤立。九州に脱出。
                                 長州に戻り奇兵隊に会いに行く。
                                  (奇兵隊:晋作が1年前に設立した有志部隊)
                                 奇兵隊にも協力を断られる。

   「知恵③」・・・・「もうダメだと思った時が勝負どころ」
             晋作:下関・功山寺で決起。
             晋作27歳・・・恭順派に勝利。藩の実権を奪い返した。

            晋作28歳・・・・第二次長州征討始まる。
                      長州軍は各地で幕府軍を撃退。
                      幕府軍は撤退を余儀なくされる。


     奇兵隊12



 江戸時代の末・幕末動乱の時代
幕府軍15万の敵

高杉晋作・一人で決起(功山寺決起)
    (元治元年・1864年12月15日夜・山口県下関市)


  奇兵隊に決起を促すが、奇兵隊は決起せず。
  高杉は他の隊に決起を呼び掛ける。
  呼びかけに応じ集まったのは、わずか80名。
    (伊藤博文が率いる力士隊十数名、遊撃隊60名)

   ”これよりは、長州男児の腕前をお目にかける” 
     「奇抜な発想・大胆な行動力・天才的な戦略の数々」
         (高杉の功山寺決起は、明治維新の扉を押し開けた)

 
 「その時歴史は動いた
    ”奇兵隊決起せよ 高杉晋作挙兵の時」
            (動画より~)


  ”高杉晋作”     高杉10
   
     長州藩士の家に生まれる。(萩)
     19歳の時吉田松陰の塾に入る。
        (塾生・・・伊藤博文:初代総理大臣、山県有朋:第3代総理大臣・ほか)

     「吉田松陰」・・・・松陰の塾には、身分にかかわらず誰でも入ることができた。
                人間は、どんな人でも何かの才能を持っている。
                   (天才高杉を生んだ個性重視の教育)

               塾の講義の柱は・・・・日本を取り巻く国際情勢。
               日本は、アメリカの圧力で開国させられたばかりであった。
               松陰は幕府の外交政策を批判した。 安政6年(1859)吉田松陰・処刑される。 

 ”奇兵隊”
    文久2年(1862)。高杉24歳の時、藩より上海視察に出発。
       (上海は英仏のなかば植民地)
    このままでは日本も中国と同じ運命をたどる。
    帰国した高杉は、幕府打倒を主張。


    文久3年(1863)・・・・長州藩、外国船を砲撃。
                   外国艦隊が、報復に来襲。

    藩主は高杉晋作を呼び出し、対策を指示。
    高杉晋作・・・・奇兵隊創立。   奇兵隊6

               「有志の士を募り、一隊を創立し、
                          名付けて奇兵隊といわん」
 
                   (奇兵隊の最大の特徴:やる気のあるものが集まった(有志)

             奇兵隊総督に就任。
             奇兵隊参加者の半数以上が農民や町人。
                (朝市隊:商人、遊撃隊:猟師、力士隊 ほか
                      隊の数は200、兵の数は2000人に達した)
             事件が起き、高杉晋作・奇兵隊総督を解任される。

   「高杉晋作、脱藩の罪で入牢」   

   「元治元年(1864)、長州藩は京都に進攻。幕府連合軍に惨敗」
   「四か国艦隊長州藩を攻撃」
   「第一次長州征伐・・・・幕府軍15万、長州藩四千」

 ”功山寺決起”
    元治元年(1864)12月15日夜
    高杉晋作 功山寺で決起。


    その後の呼びかけに応じ、商人や農民が次々に協力を申し出た。
    その後、奇兵隊も決起に呼応。 
    高杉の軍は3000人となる。
    奇兵隊と藩保守派が戦闘開始。藩保守派を圧倒した。
    藩は、幕府との対決に一本化。

 ”慶応2年(1866)第二次長州征討始まる。
  長州軍は幕府軍を次々と打ち破った。


  慶応2年(1866)9月・・・高杉晋作、病に倒れる。
  慶応3年(1867)4月14日
       (新暦5月17日)高杉晋作死去(享年29)
         「ここまでやったのだから
                  しっかりやってくれろ)

       「辞世の句」
          ”おもしろきこともなき世を 
                       おもしろく・・・・・”


     ”三千世界の烏(からす)を殺し          高杉18

               ぬしと朝寝がしてみたい” 
           (高杉の作ったといわれる都々逸の一節。 
            370首あまりの歌を残した)

  高杉晋作の死の半年後、大政奉還。
  高杉晋作の死の翌年、明治時代始まる。

             萩市3

  訪問いただき        
ありがとうございます

にほんブログ村


人気ブログランキングへ

 

 




     





スポンサーサイト



  1. 2018/03/04(日) 00:03:22|
  2. 吉田松陰の教え「草莽崛起」

松陰最後の教え「草莽崛起」

  
萩市7


  ”吉田松陰 最後の教え”

     「草莽崛起」(そうもうくっき)
        幕府や藩の役人ではなく、
        在野にうもれた、すぐれた人材”草莽”(そうもう)こそが、
        これからの時代を変える。
          ”草莽(そうもう)は「在野の志士」、崛起(くっき)は「立ち上がれ」の意。”

        日本を外国から守るためには、
        身分を超えて一つにまとまる必要がある。
        それが松陰の理想とする国家像。
        門下生たちはその思想を受け継ぐ。

  「禁門の変
     ~江戸時代を終わらせた青年志士~久坂玄瑞」

              (動画より~)

  ”久坂玄瑞”
    幕末の思想家・吉田松陰が、
    自らの後継者として期待した。
    諸外国を武力で打ち払おうという
    「攘夷運動」のリーダーとして、若き志士たちを牽引する。
    元治元年京都、幕末の動乱の火ぶたを切った「禁門の変」をおこす。

  萩市5

  ”久坂玄瑞21歳、江戸へ遊学”
    行動へ移す。・・・・攘夷派の志士たちと会合を開く。
                「横のつながり」草莽(そうもう)の仲間とネットワークを作る。
                
             文久元年1月・・・北越、会津  
                   2月・・・水戸、平戸、備中松山、薩摩
                   3月・・・会津、肥前、伊勢、薩摩
                   4月・・・水戸、房州播磨、薩摩、守山

                   5月・・・信州土田、松代、土佐
                   6月・・・肥前、土佐、薩摩、仙台、越州
                   7月・・・肥前

  ”吉田松陰 弟子たちへの言葉”
     

     志を立てるためには
     人と異なることを恐れてはいけない
     世俗の意見に惑わされてもいけない

     死んだ後の業苦を思いわずらうな
     また目前の安楽は一時しのぎと知れ
     百年の時は一瞬に過ぎない

     君たちは
     どうかいたずらに
     時を過ごすことの
     ないように


  萩市4

  「吉田松陰 幕末の熱血先生の
     やる気スイッチ入力法」 (動画より~)


  ”幕末・黒船来航  鎖国から開国へ
   激動の時代
   吉田松陰、「松下村塾」を開く。(山口県・萩)
      (伊藤博文、山県有朋など、後の明治維新を担う若者を輩出。)

     「塾生は一癖もふた癖もある若者達。」
        プライドが高く頑固者・・・・高杉晋作
        理屈屋で反抗的な・・・・久坂玄瑞
             (競争心をあおったり、丁寧な指導で、やる気を引き出す。)


 ”吉田松陰” 
    山口・萩市  文政13年(1830年)、長州藩の下級武士の次男として誕生。
    5歳・・・・兵学師範吉田家の養子となる。
    19歳・・・・藩校・明倫館の兵学師範として独立。

 ”嘉永6年(1853)・黒船来航”
    松陰は海外密航を企てる。(西洋の文明を学びたい)
    計画は失敗。
    国禁をおかした松陰は萩で投獄。(野山獄)

   野山獄で松陰は、教育者として真の才能を発揮する。
    「みんなで得意なことを教えあおう。」
       (お互いの長所を生かした教えあいで活気づく。
        松陰は一度希望を失った人からでも、やる気を引き出すことに成功。)

    松陰はいろんな人に目線が同じ。
    上から目線とか、私が先生で相手が生徒だと、押し付けるという発想ではない。
    全てを受け入れる。誰でもオッケー。


 ”松下村塾”     吉田松陰55

   1年余りの牢獄生活の後、「松下村塾」を開く。

   「知恵その一」・・・・”火には油を注げ” 
               久坂玄瑞を褒め、高杉晋作の競争心をあおる。

            「高杉晋作」・・・プライドが高く頑固者
                      (後に奇兵隊を作り、のちの倒幕を担っている人物)
              晋作は、物事の本質を見極める力がある。
              だが、自分の思い通りにやろうという癖がある。
              晋作は必ず大成する。
              でも今、頑固さを直したら立派な人物にならないと思う。
              大成すれば、必ず人の言葉を尊重するだろう。

 ”知恵その二”
    「見捨てるな!その先に光が射す」

   「伊藤博文」・・・・才は劣り、学問は幼く、素朴で華がない
             中々、周旋家になりそうな。(調整能力)
             藩が京都に諜報活動部隊を派遣に伊藤博文を抜擢。(松陰が推薦)

 ”松下村塾・閉鎖” 
    塾を開いて1年後、過激な政治思想で幕府を批判する松陰は再入獄。
    松陰、江戸において処刑・安政6年(1859) (享年30)

 ”大事なことは、自分の命がなくなることではなくて、
  自分たちがやってきたことがどう花開くか。
  「私は世のため、人のため」という、
  「背中を見て後からついてこい」と。(モデル、生き様)
  お弟子さんが目の底に焼きつけておいて思い出す。

  強烈な影響力。
  強烈な意志の伝え方。
  やる気を永遠に持たせるような、
  そういう教えを、この人が身をもって示した。”


            萩市8

訪問いただき             
ありがとうございます

にほんブログ村


人気ブログランキングへ

 
     




   







  1. 2018/03/02(金) 10:48:05|
  2. 吉田松陰の教え「草莽崛起」