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「ひきこもり・ニート」回復道具箱

ひきこもり・ニート状態の人の回復に役立ちそうな情報収集と体験談。

心のともしび「マザー・テレサに聞く」

   心のともしび「マザー・テレサに聞く」
                                     (動画内容)


 (聞きて : ハヤット神父)
あなたたちは、貧しい人たちに中でも最も貧しい人、病気の人、死にかかっている人、ハンセン病の患者、そういう人達のために働いていますが、これは非常に大変な仕事ではありませんか?

 (マザー・テレサ)
この仕事には、競争相手がありませんから。

 
(ハヤット神父)
あなたと一緒に働いている人達は、どういう動機で、こんなに難しい仕事をやっているのでしょうか?
 (マザー・テレサ)
イエス様が、苦しみ悩んでいる人のためにやることは、私の為にやることであると、おっしゃったからです。
神様を知らなくても、誰でも愛する本能があります。


 (ハヤット神父)
人を助けるより、つい自分の利益を先に考えます。
あなたは神様を愛しているから、わがままを抑えて、人を愛することができますが、神様を知らない人にとっては、これは難しいことだと思います。
私たちは自分のエゴに、どうすれば打ち勝てるでしょうか?

 (マザー・テレサ)
愛し始めることによって、傷つくまで愛することによって、愛は身近なところから始まります。
私たちは、持っていないものを与えることはできません。
愛は、分かち合うことから始まります。


 (ハヤット神父)
マザーとシスター達の写真を見ますと、こんなに大変なことをやっているのに、いつも喜びに満ちているように見えますが、どうして、いつもそれはど幸せなのでしょうか?
 (マザー・テレサ)
不幸せになる理由が、ないじゃありませんか。

 
(ハヤット神父)
しかし、人々はあなたたちが貧しいから不幸だと思うでしょう。
 (マザー・テレサ)
この貧しさが、私たちに自由を与えます。すべてての自由。特に神を愛する自由。
貧しい人々を愛する自由。ひたむきな愛に生きる自由。

私の会のシスターたちが、ニューヨーク、ロンドン、オランダ、ドイツなどで働いています。
それぞれの場所で、大勢の貧しい人を見ています。
それはただ食べ物がないという貧しさより、もっとひどい貧しさです。


孤独な人、見捨てられた人、おびえている人、心の傷ついた人。
彼らがそれを忘れるように、又、心の痛みが取れるように、笑顔が戻るようにするためには、大変時間がかかります。
このような貧しさは、最も厳しい貧しさだと思います。

私たちの貧しい生活は、自分から選んだものです。
貧しい人々を、もっと理解することができますように、自らが選んだものです。
ですから、私たちにとっては、貧しさは私たちの力であり、私たちの喜びであり、自由そのものなのです。


まず、一人から始めてください。
私は33年前、カルカッタの道端で、一人の貧しい人を助けました。
それから私たちは、4万人以上の貧しい人たちを助けてきました。






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  1. 2016/01/24(日) 10:20:35|
  2. 「心の癒し」(動画集)

「仏教の本質」(マインドフルネスの源流)

   仏教の本質 哲学者 「中村元」  
                                 (動画内容)

  「哲学者 中村元」
インド哲学、仏教など東洋思想の世界的権威です。
中学の頃から、哲学に興味を持ち、東京大学印度哲学科に学びます。
漢文からの訳が中心であった仏教研究を、インドの古代思想までさかのぼり、始めて原始仏教を現代語に翻訳しました。

研究領域は、西洋哲学、キリスト教へと広がります。
又、一般の人々に分かりやすい言葉で、仏教の本質を語りかけました。

学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、知恵は増えない。

人間の体は、王様の飾り立てた車のように、やがて朽ちてしまう。けれども、人から人に伝えられる真の法はいつまでも輝く。

本当の自己とはどういうものか。誰でも人間は、どこかの場所でいつかの時点で、生まれてきたわけです。
人間だけではなくて、山川草木まわりのものが何か関係を持っている。

個々の自己では、非常にびび足るものと考えるかもしれませんが、実はその内には偉大なものを秘めているわけです。
ですから、その偉大なものを受けていることを自覚すれば、
自分の生きる道は、おのずから明らかになって実現される。


続けて釈尊はこう言われました。
もしも自分が人々を導くのであるとか、あるいはこの修行僧の仲間が、私を頼っているとか思うならば、私が死ぬということは大変なことであろう。
しかし私は、自分がみんなを導くなんて思ったこともない。

自分はただ人々の寄るべき真理、真の生き方というものを明らかにした、それだけなのだ。

この変転、常ない世の中ではまず自分に頼るべきである。自分に頼るとは。
自分はこの場合に、どうすべきかということを、その場合その場合に考えるということでしょう。

その場合、何を判断決定の基準にするか。
それは、「人間としての道」、「法」、インドの言葉で言うと「ダルマ」と呼ばれるものです。
この人間の「理法」というもの。これに頼ること。

「自己に頼れ、法に頼れ」
これが釈尊の最後の教えでありました。


① 「仏教の本質」 (動画)




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  1. 2016/01/23(土) 12:08:26|
  2. 「心の癒し」(動画集)

「置かれたところで咲く」

  「置かれたところで咲く」 
     
   出演 シスター渡辺和子 (ノートルダム清心学園理事長)
                                 (動画内容)

「生きている間」には、「こんなはずじゃなかった」と言いたくなるようなことがたくさんあります。
そのような、状態・立場に置かれた時でも、明るく前向きに生きていく。
つまりそれが、置かれたところで自分しか咲かせることができない花を、
一生懸命咲かせることになるのだと思います。


私自身の、生涯を考えてみましても、数多くの「こんなはずじゃなかった」と、言いたくなることがたくさんありましたし、またこれからもあるだろうと思います。

30歳で修道院に入り、5年アメリカへ派遣、戻って36歳の若さで4年制の大学の学長に任命されました。

その頃、私に対しての周囲からの風当たりは結構強く、つらい思いをしたことがあります。
その時、神父様に私の不平・不満を申し上げたところ、慰めてくださるどころか、

「あなたが変わらなければどこへ行っても何をしても同じだよ」と、ある意味すげない言葉でした。
                                     
私はその時を振り返ってみますと、自分が「くれない族」だったと思うのです。
こんなに若くて、知らない土地で急に学長になって、苦労しているのに誰も慰めてくれない。
私の辛さを理解してくれない、褒めてくれない、挨拶もしてくれない。

そういう「くれない族」であった私に、「あなたが変わりなさい、人に求めるのでなくて、自分が与える人になりなさい。」ということを教えてくださったと思います。

そして私の方から挨拶をする人間になり、私から人様にお礼を言い、お詫びをし、人様を褒める。
そういう人間に変わった時に、不思議と周りの方が変わってくださいました。

又、もう一人の神父様は、私が苦労しているのを見かねてか、一つの英文詩をくださいました。
それは「神様がお植えになったところで咲きなさい」という詩でした。
私は「神様がお植えになったところ」というのを、「置かれたところ」と変えて訳したのです。

「置かれたところで咲きなさい」、仕方がないと諦めるのではなく咲くのです。
咲くということは、自分が幸せになり、周囲の人を幸せにすることです。

そして私自身が、自分が置かれた岡山という地で、置かれた学長という立場で、咲く決心をいたしました。
咲くということは、自分が幸せになることであり、他人も幸せにするということです。

一人一人が、神様が植えられたところで精いっぱい咲きなさい。
咲くということは、笑顔で生きるということです。





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  1. 2016/01/22(金) 12:45:57|
  2. 「心の癒し」(動画集)