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「ひきこもり・ニート」回復道具箱

ひきこもり・ニート状態の人の回復に役立ちそうな情報収集と体験談。

心と向き合う

 千日回峰行30


  「塩沼亮潤」心と向き合う「千日回峰行」
         (NHKラジオ深夜便)  (動画より~)
          

  塩沼亮潤氏    千日回峰行4
 
     奈良県吉野で、1日48kmの山道を踏破する
     千日回峰行を満行。
     大峰山系の往復48kmの山道を毎年5月から9月まで、
     9年かけての行。

  ”体力の限界に追い込まれた行”
     行者というのは、追い込まれると追い込まれるほど
     楽しくなってくるのです。
     自分をかばってしまうと、精神的にどんどんまいっていく。

     追い込まれるほど、「自分ならできる」と自分自身を信じていきます。
     そこで、どんな困難も乗り越える。
     それしか、自分達にはないし、それが行者としての決め事なのです。


  ”苦しみの中の楽しみ”   千日回峰行27

     1日48kmの道のりも、自分を甘やかそうと思えば、
     いくらでも甘やかせられます。
     しかし、自分に正直に、一生後悔のないよう思えば、
     一歩一歩を正直に行じたい。。
    
     人の目はごまかせても、自分自身の心はごまかせない。
     追い込みすぎて死なない程度に、また甘やかさないように
     丁度いいあんばいのところで、自分自身に耳を澄まして、
     心をとぎすまして、自分自身を問いただしていく。
     それが、非常に心地よい、楽しい。


     1年の中で、体の調子のいいのはわずか1日ぐらい。
     あとはどこか痛みや故障を抱えながらですから、
     その中で、ちょうどいい塩梅で自分を見つめなおす。

     ダイヤモンドはダイヤモンドしか磨けない。
     自分の心は自分の心しか磨けない。
     ですからそれに懸命に打ち込む。
     それが楽しい。


  ”追い込まれれば追い込まれるほど、
   「攻め」の姿勢で行かなければと、行を通じて学ぶ。
   現実を受け止めて、なるようにしかならないと。
   その上で、なお「攻め」の姿勢で。

   千日回峰行5



   「情熱」を持ち続ける心構えがあれば、人生は必ず開ける                                                
                                                             (講演録・動画)
○ 講演者 慈眼寺住職 塩沼亮潤氏 (大阿闍梨)

奈良県吉野の修験本宗総本山・金峯山の千日回峯行を満行。

千日回峯行 : 険しい山中を1日48km、年間120日、約9年1000日、歩き続ける行。
平成3年・回峯行入行。 11年回峯行満行。


さらに、四無行に挑む。(四無行 : 断食、断水、不眠,不臥の行)9日間真言を唱える。
平成18年 : 100日間、五穀・塩絶ち、八千枚大護摩供。

「小学校の時にテレビ番組で、千日回峯行を見てあこがれを持ちました。
子供の頃、母とおばあちゃんと3人暮らしで貧しかったのですが、周りの人からずいぶん助けられました。
その後、ご恩返しの気持ちを持ち、「世の為・人のため」と、「利他」の志で千日回峯行を目指しました。」

   千日回峰行11


「毎年5月3日から9月3日まで、1年のうち約4か月間を、行の期間と定めます。
深夜の11:30分に起床。1719メートルの山まで行って、帰ってくると夕方の3時半になっておりました。

同じことを同じように、繰り返していると、やがて見えてくるものがあります。
「情熱」を持ち続けるということでした。


一つの目標に向かっていくときには、初心というものはだれでも熱くて純粋なものがあります。
これをいかに長期間持ち続けるか、そして、その志がいかに清らかであるか、ということだと思います。」

「私たちの日常の世界には、ままならないことがたくさんあります。
それをコントロールするための、3つの心構えがあります。
それが忘れること、捨てきること、許しきることであります。
わすれて、すてて、ゆるしきるから、すべてに喜びが生まれるということであります。」


「志しの清らかさ、これを保ち続けること。
常に心を清らかにし、行動をし、清らかな言葉を使って生活していますと、その人に徳が備わります。」

「徳望」という言葉があります。
これは、生まれつき備わっているものではない、人間が成長段階において少しづつ積みかねていくもの。
その人徳がある人には、多くの人が集まってきます。これを人の脈と書いて人脈。
この人脈に、勢いがなくならないように、常に清らかな心を保ち続けることが大切です。


   千日回峰行23


師匠から言われた言葉。
「坊さんは、「世の為・人の為」とかはあまり言わないほうがいい。
まず、自分自身がしっかりと心身共に、徳のある人間に成長すれば、自然と「世の中」の為になっている。

「世の為・人の為」という人間に限って、どこかで必ず、自分の為になるような、そういう動きをしているものだ。
だから人の為と書いて偽りと書くんだと…・」

志が強すぎて、自我が強くなって孤立する場合がありますので、そこだけは十分注意してください。


 「関連記事」・・・・「千日回峰行者」の教え(4記事)


  「情熱」を持ちを持ち続ける心構えがあれば、人生はかならず開ける(動画)




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  1. 2017/09/08(金) 00:03:15|
  2. 「千日回峰行者」の教え(動画集)

「感謝の心・反省の心・相手への敬意の心」

   「感謝の心・反省の心・相手への敬意の心」
                 「千日回峰行者」の教え  塩沼亮潤氏  (動画案内)

人と人、心と心が通い合っているときというのは、
私たちはこの上ない幸せを感じるものです。

そのために私は、「感謝の心と、常に自己を顧みる反省の心と、相手を思いやる敬意の心」、この三つが大切だと思います。

この思いは、私が昔、大峰千日回峰行という行を通じて、得た世界観だと思います。

千日回峰行とは、一日48Kの山道を16時間かけて毎日歩き、千日間歩き続け、その行が終わると9日間にわたり、飲まない、食べない、寝ない、横にならないという修行を行います。

人は生死をさまよう体験の後、人生観が変わるといいますが、その時の日誌を読んで見ます。

「人間はみな平等であると思います。
この地球に生まれ、空気も水も光も平等に与えられていることを、感謝しなければならないと思います。」
もっと心豊かに、生きていかなければと思います。

自分の胸に手をやれば、心臓が動いています。
しかし、永遠に動いていることがないと思えば、人生という与えられた限られた時間を、大切に生きれるはずです。

自分を大切にするように、人を尊重することを忘れてはいけないと思います。
思いやりの心が、私たちの幸せをもたらす道です。


同じことを同じように繰り返して、情熱をもって毎日を過ごしていると、悟る可能性があると、今から2500年前釈尊が言われました。この行の意味があります。

その時、人間として大切なものはなんであるかということに気が付きます。

その極限の世界で感じたことが、
「感謝の心であり、反省の心であり、相手を思いやり敬意の心」だったのです。



関連過去記事 ↓
① 「情熱」を持ち続ける心構えがあれば、人生はかならず開ける  塩沼亮潤氏  (1月25日)
② 「死の極限をこえて」 千日回峰行  塩沼亮潤氏  (2月8日)
③ 「心を込めて生きる」 千日回峰行を経て 塩沼亮潤氏  (2月10日)

「千日回峰行者」の教え 塩沼亮潤氏  (講演動画)









  1. 2016/02/23(火) 11:01:42|
  2. 「千日回峰行者」の教え(動画集)

「心をこめて生きる」千日回峰行を経て

     「心をこめて生きる」千日回峰行を経て
                      (はいから万歳 塩沼亮潤氏 動画案内)

「大峯千日回峰行という修行をされた慈眼寺住職 塩沼亮潤氏。」

徹底的に行をして、何を得ましたか?ということですが、
自分の内面的に、何が変わったといいますと、
相手(自分の嫌いな人など)に対し、優しい言葉をかけるから優しい言葉が返ってくる、冷たい言葉をかけると冷たい言葉が返ってくる。


呼吸も人に対する思いやりも、変わらないんだなーと、この行の中で、自分が感じた最も大きな収穫でした。

私自身にも、どうしても嫌いな人が、たった1人だけ残っていました。
心と心、感情と感情がぶつかりますので、自分がこころよくかけている言葉に対して、
なぜ、そんな不快な言葉を返してくるんだろうと思っただけで、人間関係が崩れてしまいます。
その原因はいったいどこにあるんだろうなーとおもったら、自分自身の心にありました。


ある瞬間を迎えたのは、行が終わって数年あけて、
たまたま私が苦手とする、あるいは嫌いだった人との出会いがありまして、
その時の自分は、自分からご挨拶をして、さらに一歩進んで何か声をかけてみたい、もっとその人に対して心をかけてみたい

ただ、その人の心に、声をかけていたところ、だんだん話が弾んできて、その人からある瞬間に笑顔と優しい言葉を、引き出せた瞬間に、目の前で悶々としていたものが、一瞬にストーンと心の中に落ちていった。
まさに「腑に落ちる」という感じ。
なるほどと思って、そこではじめて自分自身が、至らなかったのだと。


実際にその時を迎えると、たとえば、自分の心の器は、湯飲み茶わんの大きさとすると、相手の人も同じ大きさ。
だからぶつかっていたのだと。
でも、本当に大きな器があればその人を、全部受け入れることができたのに。

心の中で深く反省したときに、「なるほどなー」というものが見えてきて、そこから人生は180度変わりました。
自分はなんて運がないんだろうなー、ついてないんだろうなーと思っていましたが、
それから、いいほういいほうへと全部変わっていきました。


思いやり、心をこめて、相手に対して何か言葉をかければ、その言葉が返ってくるし、
なにかすべて、いいほうに繋がっていくのではないかという、
当たり前のことに気がつきました。

正しく生きていきたい、と思った瞬間から前へ進んでいます。
今日できなくても、明日頑張るという気持ちを菩提心といいますが、
頑張っていこうという気持ちを持ちつづけることが大事だと思います。


一つのことを貫くということが大事です。
同じことをやっているうちに、迷いの心がだんだん一つの場所にとどまってくる、
止まるという字に、一(いち)を加えると、正しい心ということになります。

   ○  関連情報  ↓
         「慈眼寺」さんのホームページ 」


① 「はいから 万歳 塩沼亮潤氏」 3 (動画)
② 「はいから 万歳 塩沼亮潤氏」 4 (動画)




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  1. 2016/02/10(水) 12:34:55|
  2. 「千日回峰行者」の教え(動画集)

「死の極限をこえて」 千日回峰行

    「死の極限をこえて」 千日回峰行 
                       慈眼寺住職 塩沼亮潤氏 (動画案内)

 塩沼亮潤氏は、母と祖母に育てられていた小学生の時、NHK特集「行 比叡山 千日回峰行」(1979年)を見て、人生を変えた。
こんな行者になりたい、そして、人を救う仕事がしたい。
高校を卒業後、迷わず修行僧になった。


日常の中で、人として大切な何かに気が付かない気がする。わがままになったり、気ままになったりすると思うんです。
厳しい環境に身を置いてみて、崖の淵に咲いている花があることに気付いてみる。
毎日が命がけ。

行くか行かないかじゃないんですね。
一歩踏み出したら、1日48キロ合計4.8万キロ(千日)歩かねばならない。

なぜ修行するかというと、
お釈迦様が、同じことを同じように毎日、情熱をもって繰り返していると、悟る可能性があるといわれる。


どんな愚かな人でも12年間、同じことを続ければ、必ず一つの悟りを得るとの教え。
ただし、情熱を失ってしまったなら、悟る可能性はないといわれた。

往復48キロ標高差1300メートル。
489日目から体調をくずして、高熱と下痢。
494日目、何も食べれない。葛湯一杯で48キロメートル行って帰ってきた。
わずか10日で11キロ痩せた。


しかし、いったん行に入ったらだれも止めることができない。
死を持って行を終えるという、厳しい世界。
身体がけいれんして震えて、涙が出てくる。
それは、自分がつらいとか苦しいとかっていう涙じゃなくて、
こんなに負担をかけてごめんねと、自分で自分の体にあやまっている。

495日目、人生の中で一番苦しい日。
高熱と全身が硬直したような感じ。もうろうとして、さすがに死を意識しました。
生きるか死ぬかになると自分の人生、過去、全てが映像のように見える。

その映像の最後の場面。
「出家する朝(19歳)、ご飯を食べ終わると母が、
茶碗と箸をゴミ箱に投げつけて、もう帰ってくる場所はないという覚悟で行きなさい、砂をかむような苦しみをして頑張ってきなさい。」


猛烈に情熱がわいてきて歩き出す。
何か一つ乗り越えると、体お言うものは不思議なもので、
どんどんよくなってきて、その年の修行を終えました。

   ○ 関連過去記事は、こちらです ↓     
      「情熱」を持ち続ける心構えがあれば、」(講演動画)



「死の極限をこえて」 (動画)

      
   










  1. 2016/02/08(月) 12:15:58|
  2. 「千日回峰行者」の教え(動画集)

「情熱」を持ち続ける心構えがあれば、人生はかならず開ける

  「情熱」を持ち続ける心構えがあれば、人生は必ず開ける                                                
                                                             (講演録・動画)
○ 講演者 慈眼寺住職 塩沼亮潤氏 (大阿闍梨)

奈良県吉野の修験本宗総本山・金峯山の千日回峯行を満行。

千日回峯行 : 険しい山中を1日48km、年間120日、約9年1000日、歩き続ける行。
平成3年・回峯行入行。 11年回峯行満行。


さらに、四無行に挑む。(四無行 : 断食、断水、不眠,不臥の行)9日間真言を唱える。
平成18年 : 100日間、五穀・塩絶ち、八千枚大護摩供。

「小学校の時にテレビ番組で、千日回峯行を見てあこがれを持ちました。
子供の頃、母とおばあちゃんと3人暮らしで貧しかったのですが、周りの人からずいぶん助けられました。
その後、ご恩返しの気持ちを持ち、「世の為・人のため」と、「利他」の志で千日回峯行を目指しました。」

「毎年5月3日から9月3日まで、1年のうち約4か月間を、行の期間と定めます。
深夜の11:30分に起床。1719メートルの山まで行って、帰ってくると夕方の3時半になっておりました。

同じことを同じように、繰り返していると、やがて見えてくるものがあります。
「情熱」を持ち続けるということでした。


一つの目標に向かっていくときには、初心というものはだれでも熱くて純粋なものがあります。
これをいかに長期間持ち続けるか、そして、その志がいかに清らかであるか、ということだと思います。」

「私たちの日常の世界には、ままならないことがたくさんあります。
それをコントロールするための、3つの心構えがあります。
それが忘れること、捨てきること、許しきることであります。
わすれて、すてて、ゆるしきるから、すべてに喜びが生まれるということであります。」


「志しの清らかさ、これを保ち続けること。
常に心を清らかにし、行動をし、清らかな言葉を使って生活していますと、その人に徳が備わります。」

「徳望」という言葉があります。
これは、生まれつき備わっているものではない、人間が成長段階において少しづつ積みかねていくもの。
その人徳がある人には、多くの人が集まってきます。これを人の脈と書いて人脈。
この人脈に、勢いがなくならないように、常に清らかな心を保ち続けることが大切です。


師匠から言われた言葉。
「坊さんは、「世の為・人の為」とかはあまり言わないほうがいい。
まず、自分自身がしっかりと心身共に、徳のある人間に成長すれば、自然と「世の中」の為になっている。

「世の為・人の為」という人間に限って、どこかで必ず、自分の為になるような、そういう動きをしているものだ。
だから人の為と書いて偽りと書くんだと…・」

志が強すぎて、自我が強くなって孤立する場合がありますので、そこだけは十分注意してください。



① 「情熱」を持ちを持ち続ける心構えがあれば、人生はかならず開ける(動画)
② リラックスミュージック動画






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  1. 2016/01/25(月) 11:20:17|
  2. 「千日回峰行者」の教え(動画集)